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question:请将“生産諸条件の所有者たちの、直接生産者たちにたいする直接的関係―――そそれはそれで本性上、労働のあり方の一定の発展段階、それゆえまた労働の社会的生産力の発展に照応するが―――こそは、そのつど、われわれがそのうちに、社会構造全体の、それゆえまた主権・従属諸関係Souverainitäts-undAbhängigkeitsverhältnissの一般的な政治的形態の、要するに独自な国家形態の、最奥の秘密、隠された基礎を見いだすところのものである。このことは、同一の経済的土台———主要な諸条件からみて同一の――でも、無数の異なる経験的事情、す自然諸関係、人種諸関係、外部から作用する歴史的諸影響などによって、現象的には、無数の変化およびニュアンス――これらは経験的に与えられたこれらの事情の分析によってのみ把握されるを呈しうるということを妨げるものではない。(MEGA11/4.2,732) ここでマルクスは、伝統的マルクス主義の「土台-上部構造論」が想定するような「経済」と「政治」の対応関係を指摘しているわけではない。ところが、この文章は「土台」と「上部構造」の相互規定を定式化したものとして理解されてきた。マルクスの草稿では「生産を規定するように現象する」とされた表現が、エンゲルス版では「生産に規定的に反作用する」と修正されたためである。ここで問題となっているのは、「土台」と「上部構造」の規定関係ではなく、むしろ両者の絡み合いVerschlingungである。私たちは、経済的形態および政治的形態の分離のみならず、両者の絡み合いを理解した上で「史的唯物論」を新たに再構成しなければならない。そこで鍵となる概念が、生産から直ちに生成すると定義された「支配・隷属関係」である。これまで見落とされてきたが、「政治的形態」を把握するうえで決定的に重要なこのカテゴリーを二つの観点から考察しておこう。 第一のポイントは、生産関係と支配・従属関係の歴史貫通的な絡み合いである。直接的生産者の労働形態、そして直接的生産者の剰余労働が領有される形態に対応して、その社会に独自の生産関係が形成される。ここまではよく知られた議論だろう。「政治的形態」を把握するうえで重要なのはここからである。すなわち、この生産関係から直ちに独自の「支配・隷属関係」が生成し、「支配・隷属関係」のほうも「生産関係」を規定するように現象する。さしあたり、この「支配・隷属関係」とは、『要綱』で述べられているように、「他人のfremd意志の取得」を前提とする「支配関係Herrschaftsverhältniss」(MEGAII/1.2,404)を意味している。つまりマルクスは、生産関係から生成し、それと絡みあう「支配関係」を政治的形態の端緒規定として定義したのである。 そして第二のポイントは、支配・隷属関係と絡みあう直接的生産関係(およびその法学的表現としての所有関係)を基盤として、その社会全体の経済的構造が形成され、それと同時に社会構造の政治的形態が形成されるという点である。 こうして、端緒的な「政治的形態」規定、すなわち生産関係と不可分な支配関係を基礎として、社会一般の政治的形態である国家形態が形成されるのである。マルクスにとっては、国家権力という一般的な政治的形態よりも、その隠れた基礎としての、生産関係と絡みあう支配関係すなわち政治的権力関係が重要であった。それゆえ、形態分析の観点からすれば、土台と上部構造との直接的な対応および規定関係は問題とならない。そうではなくて、どのような生産関係においても、その時々の労働形態(および剰余労働の領有形態)から生じる経済的形態と支配関係との絡み合いから、社会構造全体の政治的形態が展開されなければならないのである。 っとも、「史的唯物論」では生産関係と支配関係の絡み合いが歴史貫通的に強調されているが、「経済と政治の分離および結合」を歴史貫通的に把握することはポリティカル・エコノミー批判の課題ではない。つまり、あらゆる社会システムにおける「政治と経済の分離および結合」一般ではなく、あくまでも資本主義社会システムに固有な両者の「分離および結合」様式が問題なのである。じっさい『ゴータ綱領批判』で強調されているように、国家の形態分析の主題は、資本主義社会の経済的構造に対応した政治的形態、すなわち資本主義国家に独自の政治的形態規定であった。「文明国にある様々な国家は、その形態上の種々雑多な違いにもかかわらず、いずれも近代ブルジョワ社会の土台の上に立っているという共通点をもっている[…]それゆえ、それらの国家はまた、ある本質的な性格を共通にもっている」(MEGAI/25,21)。”翻译为中文
answer:生产条件的所有者与直接生产者之间的直接关系———本质上,这与一定发展阶段的劳动方式相呼应,因此也与劳动的社会生产力的发展相呼应———恰恰是我们在其中发现整个社会结构的、因此也是主权和依赖关系Souverainitäts-undAbhängigkeitsverhältniss的一般政治形态、简而言之,独特国家形态的最深奥秘密、隐藏的基础的东西。这并不妨碍,即便在相同的经济基础———从主要条件看是相同的———上也因无数不同的经验条件、自然关系、种族关系、外部历史影响等,表面上可能表现出无数变化和细微差别———这些只能通过对这些经验条件的分析来把握。(MEGA11/4.2,732) 在这里,马克思并没有像传统马克思主义的“基础-上层建筑论”假设的那样,指出“经济”与“政治”的对应关系。但这段话被理解为对“基础”和“上层建筑”的相互规定的制定。由于恩格斯版的马克思稿件中的表述被修改为“对生产有决定性反作用”,所以出现了这种理解。这里的问题不是“基础”和“上层建筑”的规定关系,而是两者的交织Verschlingung。我们必须在理解经济形态和政治形态的分离以及两者的交织的基础上,重新构建“历史唯物论”。关键概念是定义为直接从生产中产生的“统治和奴役关系”。虽然这一直被忽视,但在把握“政治形态”时,这个决定性重要的类别将从两个角度进行考察。 第一个要点是生产关系与统治和服从关系的历史贯通的交织。劳动形态,以及直接生产者的剩余劳动被占有的形态,对应于形成的社会特有的生产关系。这一点可能是众所周知的论点。从这里开始对于把握“政治形态”至关重要。即是,直接从这些生产关系中产生的独特的“统治和奴役关系”,“统治和奴役关系”也像“生产关系”一样表现为决定因素。就像在《要綱》中所述,这个“统治和奴役关系”暗示着“领有他人fremd意志”的“统治关系Herrschaftsverhältniss”(MEGAII/1.2,404)。也就是说,马克思将从生产关系中产生并相互交织的“统治关系”定义为政治形态的初始规定。 第二个要点是,基于与统治和服从关系交织的直接生产关系(及其法学表达的所有权关系),形成了整个社会的经济结构,同时形成了社会结构的政治形态。 于是,作为初始的“政治形态”规定,即与生产关系不可分的统治关系为基础,形成了社会的一般政治形态即国家形态。对马克思而言,不仅国家权力这一一般政治形态重要,而且其隐藏的基础———与生产关系交织的统治关系,即政治权力关系———才是重要的。因此,从形态分析的视角来看,基础和上层建筑之间的直接对应和规定关系并不是问题。而是在任何生产关系中,都必须从劳动形态(及剩余劳动的占有形态)产生的经济形态和统治关系的交织中,展开整个社会结构的政治形态。 虽然在“历史唯物论”中,生产关系与统治关系的交织历史上被强调,但历史上如何把握“经济与政治的分离及结合”不是政治经济学批判的任务。也就是说,问题不在于一般社会系统中的“政治与经济的分离及结合”,而是特定于资本主义社会系统的“分离及结合”模式。实际上,正如在《哥达纲领批判》中所强调的,国家形态分析的主题是与资本主义社会的经济结构相对应的政治形态,即特有于资本主义国家的政治形态规定。“不同文明国家的种种不同形态,尽管在形态上有种种不同,都是建立在现代资产阶级社会的基础之上的[…]因此,这些国家也具有某种共同的本质特征”(MEGAI/25,21)。
question:请将“したがって、国家の形態分析にとって重要なのは、前資本主義社会の政治的形態と資本主義社会に独自な政治的形態とを峻別することである。それでは、社会構造の政治的形態の基礎にある「生産関係と支配関係の絡み合い」は、両形態においてどのように異なっているのだろうか。この点を理解するために、まずは前資本主義社会の政治的形態である共同体と国家(公的権力)を考察しておこう。 生産関係に埋め込まれていた国家(公的権力) 端緒的な政治的形態規定、すなわち生産関係と絡みあう支配関係が、社会構造一般の政治的形態をどのように形成するのか。これはマルクスの「史的唯物論」にとって、資本主義社会はもちろんのこと歴史貫通的に考察されるべきことがらであった。しかし、前資本主義社会の政治的形態は、あくまでも資本主義社会の政治的形態との対照において考察すべきものである。前資本主義社会においては、資本主義社会とは対照的に、人格的な関わりあい、すなわち「共同体」を基礎とする支配関係が形成されている。共同体にもとづく支配関係が、直接的生産者の労働、そしてかれの剰余労働の領有の前提をなしている。つまり、共同体の解体と「無所有」の労働者を前提とする資本主義社会とは対照的に、前資本主義社会においては「人格的な」支配関係のもとで直接的生産者の生産手段にたいする「本源的所有」が保証されているのだ。『要綱」「資本主義的生産に先行する諸形態」(以下、「諸形態」)においてマルクスが定義した「本源的所有」は、「個々人が労働および再生産の自然的諸条件にたいして、それらを自己に属する諸条件とするようにして関わるverhalten」(MEGAII/1.2,380)ことを意味していた(隅田2014a)。前資本主義社会においては、共同体の構成員が「所有者」として再生産され、共同体の再生産それ自体が経済的な目的となっている。そのため、社会全体の経済的構造もまた諸共同体にもとづいて組織され、総労働の配分と総生産物の分配は人格的な支配関係によって解決される。こうして社会の経済的構造に対応する政治的形態は、直接的生産者に相対する土地所有者が、共同体であるか、共同体からある程度切り離された私的所有者であるかに応じて、専制国家あるいは政治的共同体(ポリスや都市国家)として成立する。 マルクスは国家にたいする体系的な批判を残してはいない。しかし、『要綱』の「共同体」論は、古典古代ローマのポリスやアジアの専制国家を念頭においたものであるとはいえ、前資本主義社会における支配関係としての共同体形態を明らかにするうえでの手かがりとなる。マルクスの記述を読むと、古典古代ローマの軍事国家やアジアの専制国家には、「社会から分離し集権化した国家」という特徴がすでに見いだされる。しかし、社会の経済的構造から分離した近代ブルジョワ国家とは異なり、じつは前資本主義社会における国家(公的権力)はむしろ生産関係に埋め込まれていた。ポランニーは非市場経済を「社会に埋め込まれていた経済」と定式化したが、同時に「政治(公的権力)も社会に埋め込まれていた」と付け加える必要があるだろう。つまり、国家は社会の経済構造においてまさしく「生産者」として主要な役割を果たしていたのである。前資本主義社会においては、人格的支配関係、ならびに社会一般の政治的形態としての国家(公的権力)が、直接的に生産関係を形成しているというわけだ。 マルクスは『資本論』第三部において、資本主義以前の「生産者」としての国家(公的権力)がおこなう労働を「一的事業」と定義していた。「専制国家において、政府の行う監督および全面的介入の労働Arbeitは、の、すなわち、共同社会の本性に由来する一般的事業の遂行、ならびに政府と人民大衆の対立に起因する独特な諸機能を含んでいる」(MEGAII/4.2,455)。前者の「一般的事業」は、政治的共同体の本性に由来する行政的機能であり、『フランスの内乱』においても明示されているように、「国Landの一般的かつ共同的欲求によって必要とされる機能」(MEGAI/22,106)であった。それに対して後者は、階級社会では直接的生産者と生産手段の所有者の対立を統制する政治的機能であり、そして無階級社会においても生じてしまう支配・従属関係を監督する治政(ポリツァイ)的機能である(Wood1978)。こうした政治的共同体に固有の「公的労働」(一般的事業の遂行と支配関係の監督)はすべての社会システムにおいて存在する。それは、政治的共同体が遂行する歴史貫通的な行政的あるいは治政機能であり、社会の経済的構造において必要不可欠なものである。”翻译为中文
answer:因此,对于国家形态分析而言,重要的是将前资本主义社会的政治形态与资本主义社会独有的政治形态区分开来。那么,社会结构的政治形态基础上的“生产关系与统治关系的交织”在两种形态中有何不同呢?为了理解这一点,首先让我们考察前资本主义社会的政治形态,即共同体和国家(公共权力)。 埋藏于生产关系中的国家(公共权力) 初始的政治形态规定,即生产关系与统治关系的交织,是如何形成社会结构一般的政治形态的。这对马克思的“历史唯物论”来说,当然是资本主义社会,但也是历史上应当考察的事项。然而,前资本主义社会的政治形态应该在与资本主义社会的政治形态的对比中考察。在前资本主义社会中,与资本主义社会形成对照,形成了以“共同体”为基础的、个人间的关系,即统治关系。基于共同体的统治关系,构成了直接生产者的劳动及其剩余劳动的占有的前提。也就是说,与资本主义社会基于“无产”劳动者解体的共同体相对,前资本主义社会中“个人化”的统治关系确保了直接生产者对生产手段的“原始所有权”。马克思在《要纲》“资本主义生产之前的形态”(下称“各种形态”)中定义的“原始所有权”,意味着“个人与劳动及再生产的自然条件的关系,使这些条件成为自己的条件”(MEGAII/1.2,380)(隅田2014a)。前资本主义社会中,共同体成员作为“所有者”得到再生产,共同体的再生产本身成为经济目的。因此,整个社会的经济结构也根据各个共同体组织,总劳动的分配和总产出的分配由个人间的统治关系解决。由此,与社会经济结构相对应的政治形态是,土地所有者是共同体还是在某种程度上与共同体分离的私人所有者,分别形成封建国家或政治共同体(城市国家或城邦)。 马克思没有留下对国家的系统性批判。然而,《要纲》中的“共同体”论,虽然考虑到了古典古代罗马的城邦和亚洲的封建国家,但在揭示前资本主义社会作为统治关系的共同体形态方面提供了线索。从马克思的描述中可以看出,古代罗马的军事国家和亚洲的封建国家已经出现了“从社会中分离出来并集中的国家”的特点。但是,与近代资产阶级国家分离的经济结构不同,前资本主义社会中的国家(公共权力)实际上埋藏于生产关系之中。波兰尼将非市场经济定义为“嵌入社会中的经济”,同时也需要补充“政治(公共权力)也嵌入于社会之中”。也就是说,国家在社会的经济结构中确实扮演了“生产者”的主要角色。在前资本主义社会中,个人化的统治关系以及作为社会一般政治形态的国家(公共权力)直接形成了生产关系。 在《资本论》第三部中,马克思定义了资本主义之前作为“生产者”的国家(公共权力)所进行的劳动为“一项工作”。 “在封建国家中,政府的监督和全面介入的工作是,即源于共同社会本质的一般工作的执行,以及政府与人民大众的对立所引起的特殊功能”(MEGAII/4.2,455)。前者的“一般工作”是来源于政治共同体本质的行政职能,如在《法国内战》中所示,“国家的一般和共同需求所必需的职能”(MEGAI/22,106)。而后者是在阶级社会中调解直接生产者与生产手段所有者之间的对立的政治职能,即使在无阶级社会中也会出现的统治和从属关系的治理(警察)职能(Wood1978)。这种属于政治共同体的“公共劳动”(一般工作的执行和统治关系的监督)存在于所有社会系统中。这是政治共同体执行的历史上贯穿的行政或治理职能,在社会的经济结构中是不可或缺的。
question:请将“マルクスが前資本主義の政治的共同体として引き合いに出すのは、アジアの専制国家ばかりではなかった。『要綱』では、アジアの専制国家と古典古代ローマのポリスを区別する諸契機の一つとして、「敵対諸部族あるいは近接諸部族にたいする関わりVerhalten」が列挙されている(隅田2014a)。すなわち、暴力の組織化のあり方が共同体の形態を政治的に規定するのである。古典古代ローマの軍事的に組織された国家においては、アジアの専制国家のように共同体成員の労働が政府による公共事業に使用されることがより少なかった。「だから、戦争は、生存の客体的諸条件を占拠するためのものであろうと、客体的諸条件の占拠を保護し永久化するためのものであろうと、必要不可欠な重大な全体的課題であり、重大な共同的労働である」(MEGAII/1.2,381)。ここでは、自分たちの共同体を脅かす他の共同体にたいする戦争が、共同体の生産条件を占拠・維持する公的労働であり、ローマ社会の経済構造にとって必要不可欠であることが強調されている。しかしローマではなぜ、共同体内部の支配関係の監督ではなく、むしろ共同体の外部にたいする戦争が重大な公的労働であったのか。それは、ローマのポリスが自由な土地所有者である市民から構成されていたからである。唯一の土地所有者が専制国家であるアジアとは異なり、ローマでは直接的生産者が生産手段の所有者となっているので、私的所有者の連合であるポリスを外敵に対して維持することが政治共同体の主要な利害となっていたのだ。 支配関係の監督や対外的な戦争以上に、前資本主義における「生産者としての」国家をより明確に特徴づけているのが公共事業の遂行である。マルクスによれば、私的企業の連合化が促進された西洋とは異なり、東洋では広大な領土にもかかわらず自発的なアソシエーションが創設されなかったため、集権化した国家の全面的介入が要請されたという(MEGAI/12,222)。その結果、アジアのすべての専制政府には、灌漑や排水といった公共事業publicworks/travauxpublicsという経済的機能が委ねられることになった。なお、マルクスはエンゲルスとの往復書簡において、フランス語で公共事業を意味するtravauxpublicsを公的労働öftentlicheArbeitというドイツ語に置き換えている(MEW28,276)。専制国家もまた複数の小共同体から構成されるが、小共同体を包括する統一体としての専制国家は、共同的労働を遂行する最大のアクターとなっている。日本語で公共(土木)事業と訳されてきたtravauxpublicsは、文字通りに政治的国家がおこなう公的な労働として理解すべきである。資本主義社会においては、生産する私的経済と非生産的な公的権力による政治支配との分離が前提となっていた。政治的国家は直接的生産過程から撤退しているというわけである。しかし、前資本主義社会おいてはむしろ、戦争や公共事業をつうじて政治的に生産を組織化することが至上命題となっていたのだ。 「東洋的専制主義」の研究で著名なウィットフォーゲルもまた、マルクスのアジア的生産様式論に着目しているが、国家の治水事業を単なる経済的機能とは考えなかった。アジアやユーラシアといった広大な領土においては、集権化した国家が総労働を配分するアクターとなるほかなく、国家の公的労働は政治的規定として理解されている(石井2008,16)。ただし、ここでの西洋と東洋という二分法を単なる地理的カテゴリーとして理解してはならない(じっさい、マルクスはアジア的な統治形態をトルコやスペインにおいても見いだしている)。むしろ、東洋的専制国家において典型的に見られる「一般的事業」は、資本主義以前の政治的共同体一般の「公的労働」を定義するものとして、ひろい意味で理解されるべきである。というのも、「生産者」として共同体および国家(公的権力)は、ポリティカル・エコノミーの隠れた主題でもあるからだ。 マルクスは『要綱」「諸形態」で「共同体」論を展開した直後に「資本の循環」章(のちの『資本論』第二部「資本の回転」篇に相当)を起草したが、道路建設と交通手段の整備を共同体ならびに国家(公的権力)による生産の組織化という問題として考察している。こうした公共インフラといった「一般的生産条件」に関する議論は、国家の公的労働である「一般的事業」をポリティカル・エコノミーの文脈において具体的に展開したものであった。『資本論』関連草稿では、リチャード・ジョーンズやスミスのフランス語翻訳者であるガルニエを引用しながら、鉄道や道路の建設、そして運河や道路の開さくといった公共事業が論じられている。”翻译为中文
answer:马克思在引用前资本主义的政治共同体时,并不仅仅是指亚洲的专制国家。在《要纲》中,区分亚洲的专制国家和古典古代罗马的城邦的诸多因素之一,就是列举了“与敌对部落或邻近部落的相互关系Verhalten”(隅田2014a)。即组织暴力的方式在政治上定义了共同体的形态。在古典古代罗马军事组织化的国家中,与亚洲的专制国家相比,共同体成员的劳动被用于政府的公共工程较少。“因此,无论是为了占领生存的客观条件,还是为了保护和永久占据这些条件,战争都是不可或缺的重大整体任务,是重要的共同劳动”(MEGAII/1.2,381)。这里强调的是,对抗威胁自身共同体的其他共同体的战争是维持和占领共同体生产条件的公共劳动,并对罗马社会的经济结构至关重要。但为什么在罗马,战争作为对外重要的公共劳动而不是监督共同体内部的统治关系呢?这是因为罗马的城邦由自由土地所有者即市民组成。与亚洲的专制国家(唯一的土地所有者)不同,罗马的直接生产者是生产手段的所有者,因此维持城邦对抗外敌成为政治共同体的主要利害关系。 在前资本主义中,“作为生产者”的国家所执行的公共工程比对内部统治关系的监督或对外战争更能明确特征。马克思指出,与西方鼓励私营企业联合不同,东方由于缺乏自发形成的协会,即使在广阔的领土内,也需要集中化的国家进行全面介入(MEGAI/12,222)。这导致所有亚洲的专制政府都被赋予了执行灌溉和排水等公共工程publicworks/travauxpublics的经济功能。值得注意的是,马克思在与恩格斯的往返信件中,将表示公共工程的法语travauxpublics用德语öftentlicheArbeit(公共劳动)替换(MEW28,276)。尽管专制国家也由多个小共同体组成,但作为包含小共同体的统一体,专制国家成为执行共同劳动的最大行动者。通常翻译为公共(土木)工程的travauxpublics应该被理解为政治国家进行的公共劳动。在资本主义社会中,生产的私营经济与非生产的公共权力的政治统治被视为前提条件。政治国家从直接生产过程中撤出。然而,在前资本主义社会中,通过战争和公共工程政治组织生产才是至上任务。 以“东方专制主义”研究而闻名的维特福格尔也关注了马克思的亚洲生产方式论,但他并不认为国家的水利工程仅仅是经济功能。在亚洲和欧亚等广阔领域,集中化的国家作为分配总劳动的行动者成为必然,国家的公共劳动被理解为政治决定(石井2008,16)。但应当注意,这里的西方与东方的二分法不能仅被理解为地理类别(实际上,马克思也在土耳其和西班牙发现了亚洲式的统治形态)。反而,通常在东方专制国家中看到的“一般性工作”应该广泛理解为资本主义之前政治共同体一般的“公共劳动”。这是因为作为“生产者”的共同体及国家(公共权力)也是政治经济学的隐藏主题。 在展开“共同体”论的《要纲》“各种形态”之后,马克思草拟了“资本循环”章节(后来成为《资本论》第二部“资本的流转”篇),在其中考察了道路建设和交通工具整备作为由共同体及国家(公共权力)组织生产的问题。关于公共基础设施等“一般生产条件”的讨论是在政治经济学背景下具体展开的“一般性工作”即国家的公共劳动。在《资本论》相关草稿中,引用了理查德·琼斯和史密斯的法语翻译者加尼埃,讨论了铁路和道路的建设,以及运河和道路开凿等公共工程。
question:请将“資本主義以前の政治的共同体は、「国全体の収入の支出者であって、大集団を動員する権力をもっている」(MEGAII/3.1,233)ため、社会の一般的条件を独自の権力で整備することができた。「エジプト、エトルリア、インド等々では、民衆が暴力的にかり集められて強制建造物や公共の強制製作物に当てられたのであった」(MEGAII/1.2,428)。マルクスによれば、前資本主義の国家においては「社会的生産過程の一般的条件が、社会的収入の控除、つまり国家租税からつくりだされる」。賦役労働による公共物の制作のみならず、「租税による道路建設は、国の剰余労働あるいは剰余生産物の一部を強制的に道路に転化することを意味している」。ここでのポイントは、政治的共同体としての国家が、自らの暴力的強制を背景に徴収した租税や地代によって、公共事業を営んでいるということだ。 賦役労働や租税による公共事業の遂行は、専制国家に見られるように国家自身が直接的生産者である場合に限られない。マルクスは、道路建設者や国務賃貸請負人といった特殊な階級が、国家に代わって公共事業を遂行するケースにも言及している。特に傭兵軍が市民軍にとって代わった共和政末期のローマでは、軍隊が国家の公的労働のために訓練され、その剰余労働時間が国家のものとなったという。傭兵は自らの労働時間のすべてを賃金と引き換えに国家に売り、他方で国家は傭兵を使用して権力と富を増大させることができた。とはいえ、ここでも国家が公共事業の組織者であることに変わりはない。すなわち、暴力的強制によって剰余労働が動員されるという点で、政治的な生産の組織化が社会の経済構造において主要な役割を果たしているのだ。 こうした剰余労働の「捕獲者」としての国家は、伝統的マルクス主義の国家論を批判したドゥルーズ=ガダリが『千のプラトー』において原国家Urstaatと呼んだものである。ドゥルーズ=ガタリは、生産力の発展や社会からの政治的権力の分離として国家を説明するマルクス主義に異議を唱えた。彼らはこう言う。国家は、経済的土台や階級分化によって規定される政治的上部構造ではない。「逆に、大土木工事の企てや剰余生産物、そしてそれに対応する官僚機構の組織化を可能にするのは、国家それ自身なのである」(DeleuzeetGuattari1980,443f)。マルクスのアジア的生産様式論では、専制国家を構成する各村落共同体のもとで最低限の生産力が発展していることが前提とされていた。なぜなら、冶金術や建設業者といった特殊な階級を維持し、公共事業を可能にするためには、社会全体で剰余が生み出される必要があるからだ。しかし、ドゥルーズ=ガタリによれば、マルクスが論じた「アジア的な」専制国家は、現代の考古学者たちによって、すでに旧石器時代に、そして世界のいたるところで発見されているという。「もはや国家が、発展した農業共同体や、発展した生産力を前提とするのではない。反対に、前提とされる農業も冶金業ももたない狩猟採集民の真っ只中に、国家は何の介在もなく直接的に樹立される」(DeleuzeetGuarrari1980,534)。したがって、国家はマルクス主義者が考えるように一定の生産様式を前提するのではなく、むしろ国家が生産の様式を第一義的に規定するというわけだ。 確かに、「いつでも至るところに存在する」本源的な国家を定式化したドゥルーズ=ガタリは、古代の専制国家のメカニズムを資本主義以前の国家(公的権力)一般の問題へと拡張した点で正しかった。マルクス主義者が考えるように、国家は単なる政治的上部構造ではなく、暴力的強制を背景に社会の剰余労働を動員し公共事業を組織化する。つまり国家は、社会の経済構造において政治的に生産を組織しており、生産手段の所有者で直接的に生産関係を形成しえたのである。しかし、ドゥルーズ=ガタリの原国家論は、伝統的マルクス主義にたいするパライム転換を強調するあまり、「資本の国家」(Agnoli1995)を特徴づける経済的形態規定の論理を自分たちの考察から徹底的に排除することになる。例えば、古代専制国家から近代国家への転化を考察するうえで彼らにとって決定的なのは、貨幣という等価形態ではなく、むしろ税の徴収による剰余の捕獲のほうであった。ドゥルーズ=ガタリの目的は、資本主義国家に独自の政治的形態規定を把握することではない。そうではなく、彼らにとって問題なのは、本源的な国家が資本主義において新しい形態でどのように復活するかを明らかにすることであった。確かに、政治的共同体に固有の「公的労働」(一般的事業の遂行と支配関係の監督)は、あらゆる社会システムにおいて存在する行政的機能である。”翻译为中文
answer:前资本主义的政治共同体,“作为整个国家收入的支出者,拥有动员大集团的权力”(MEGAII/3.1,233),因此能够以其独有的权力来建设社会的一般条件。“在埃及、伊特鲁里亚、印度等地,民众被暴力聚集起来,强制投入建造工程或公共制作物”(MEGAII/1.2,428)。据马克思所述,在前资本主义的国家中,“社会生产过程的一般条件是通过社会收入的扣除,即国家税收来创造的”。不仅是通过徭役劳动制造公共物品,而且“税收用于道路建设意味着强制性地将剩余劳动或剩余产物的一部分转化为道路”。重点在于,作为政治共同体的国家,利用自身的暴力强制手段征收的税收或地租来进行公共工程。 公共工程的执行通过徭役劳动或税收并不仅限于国家自身作为直接生产者的情况,如专制国家所见。马克思提到,道路建设者或国家租赁承包商等特殊阶层,代表国家执行公共工程的情形。特别是在罗马共和国末期,军队取代了民兵,受训于国家的公共劳动,其剩余劳动时间成为国家所有。雇佣兵将其全部劳动时间以工资的形式出售给国家,而另一方面,国家可以使用雇佣兵来增加权力和财富。但在这里国家仍是公共工程的组织者,即通过暴力强制动员剩余劳动,政治组织社会的生产在社会经济结构中发挥主要作用。 杜勒兹-加塔利在《千高原》中批评了传统马克思主义国家理论,称之为原始国家Urstaat的国家正是这样作为剩余劳动的“捕获者”。他们质疑将国家作为经济基础和社会政治权力分离的结果来解释的马克思主义观点。他们声称,国家不是由经济基础或阶级分化所决定的政治上层建筑。“相反,正是国家本身使得大型土建工程的计划、剩余产物,以及与之相应的官僚机构的组织成为可能”(DeleuzeetGuattari1980,443f)。马克思的亚洲生产方式论假设,形成专制国家的各个村落共同体中存在最低限度的生产力发展。这是因为,为了维持特殊阶层如冶金工或建筑商,及使公共工程成为可能,需要整个社会生产剩余。然而,杜勒兹-加塔利提到,马克思所论述的“亚洲式”专制国家实际上已被现代考古学家在旧石器时代,以及世界各地发现。“国家不再是建立在发达的农业社区或发达的生产力之上的,相反,国家是直接在没有介入的情况下,在不具备农业或冶金业的狩猎采集民中直接建立的”(DeleuzeetGuattari1980,534)。因此,国家不是像马克思主义者所想的那样以一定的生产方式为前提,而是国家首先定义了生产的方式。 确实,杜勒兹-加塔利将原始国家的概念应用到古代专制国家的机制上,将其扩展到前资本主义的国家(公共权力)的普遍问题,这是正确的。与马克思主义者所认为的不同,国家不仅仅是一个政治上层建筑,而是在暴力强制的背景下动员社会剩余劳动并组织公共工程。也就是说,国家在社会经济结构中政治地组织生产,并能直接形式生产关系作为生产手段的所有者。然而,杜勒兹-加塔利的原国家论在强调对传统马克思主义的变革时,排除了特征化“资本国家”的经济形态规定逻辑。例如,在探讨从古代专制国家到现代国家的转变过程中,对他们来说,决定性的不是货币作为等价物的形式,而是通过税收捕获剩余。杜勒兹-加塔利的目的不在于理解资本主义国家独有的政治形态规定,而是在于揭示原始国家如何在资本主义中以新形式复活。确实,属于政治共同体的“公共劳动”(一般性工作的执行和监督统治关系)是所有社会系统中存在的行政功能。